『Jonathan Livingston Seagull』(かもめのジョナサン)を読んだ。
あるブロガーさんが『かもめのジョナサン』について、たまに読み返したくなる、と言っていたのがきっかけ。
読んだのは、講談社英語文庫の英語版『Jonathan Livingston Seagull』。
100ページほどの本であるが、途中に結構写真のページがあり、ボリュームは少な目。
主人公のカモメのジョナサンは飛ぶことが好きで、より高度な飛行技術を追求するというような話。
一度、一通りざっと読んでみた。あんまりよくわからなかった。
出来事だけではなく、抽象的な考え方の会話があったり、高尚な感じはした。
作者のリチャード・バックが飛行家とのことであり、飛行技術の専門的な記述もなじみがなく難しく感じた原因の一つ。
ボリュームがそんなに多くないので、もう一度読んでみた。
1回目よりも丁寧に読んで、何となく書かれていることは理解はできた。
が、どう理解してよいのかよくわからなかった。
家に、家族が買った新潮文庫の五木寛之訳の『かもめのジョナサン』(平成11年6月5日 57刷)があった。
答え合わせのつもりでこれを読んでみた。
書かれているストーリーは、概ね理解した通りだった。
訳者が、巻末に解説を書いている。それを読むと、どうとらえるのか難しい本のようである。
レイ・ブラッドベリ―の見解が紹介されていたが、これを見ると読む人によって見方が変わるような作品ということである。
レイ・ブラッドベリ―は、この作品のことを「読む者がそれぞれに神秘的原理を読み取ることのできる偉大なロールシャッハテスト」だと語っているそうだが、・・・
そもそもとらえ方が難しい本らしいので、ちょっと気持ちが落ち着いた。
解説では、作品について時代背景から考察されている。
この本はアメリカ西海岸のヒッピーたちがひろかに回し読みしていて、それが何年かのうちに少しづつ広がってゆき、やがて一般に読まれるようになった、と何かの雑誌で読んでいた。
1970年に刊行されたこの本は、今ではわからない、当時の状況や背景を共有する人たちには何か共感できるところがあるのかもしれない。
解説では書かれていないが、自分は勝手にベトナム戦争の時期だな、と思った。
「かもめのジョナサン」というのは聞いたことがあったが、まさかこんな内容の話だとは思わなかった。
生きる意義とか、向上心とか、前向きなことも書かれているこの内容なら、不思議な話ではあるが、ちょっと読み返したくなる。
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